坂本龍馬暗殺に英国陰謀説?近江屋事件の謎と「黒幕説」を史実から考察

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坂本龍馬暗殺に英国陰謀説?近江屋事件の謎と「黒幕説」を史実から考察

幕末の歴史を語るうえで、欠かすことのできない人物の一人が坂本龍馬です。

薩長同盟の成立に関わり、海援隊を率いて活動した龍馬は、 幕末という激動の時代を象徴する人物として現在も高い人気があります。

しかし、龍馬は新しい時代の到来を目前にして暗殺されました。

1867年、京都の近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された 「近江屋事件」です。

実行犯については京都見廻組だったとする説が有力ですが、 現在までさまざまな「黒幕説」が語られてきました。

その中でも興味深いものの一つが、

「坂本龍馬の暗殺には英国勢力が関係していたのではないか?」

という、いわゆる英国陰謀説です。

なぜ遠く離れたイギリスが龍馬暗殺の黒幕として語られるのでしょうか。

この記事では近江屋事件の史実を確認しながら、 英国陰謀説が生まれる背景と、その説を考えるうえで注意したいポイントについて紹介します。

坂本龍馬はどんな人物だった?

坂本龍馬は1836年、土佐藩に生まれました。

幕末の動乱期に脱藩し、勝海舟との出会いなどを通して 海軍や貿易に関心を深めていきます。

その後、薩摩藩と長州藩の間を取り持ち、 1866年に成立したとされる薩長同盟にも関わりました。

さらに長崎を拠点として亀山社中、のちの海援隊を組織。 商業活動と政治活動の両方を展開するという、 当時としては非常に特徴的な立場にいました。

また、龍馬は新政府のあり方についても構想していたとされ、 「船中八策」と呼ばれる政治構想でも知られています。

幕府か倒幕勢力かという単純な二者択一ではなく、 より大きな視点から日本の将来を考えていた人物として語られてきました。

しかし1867年、その活動は突然終わります。

近江屋事件とは?

1867年12月10日(旧暦11月15日)、 京都・河原町にあった近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃されました。

龍馬はその場で命を落としたとされ、 中岡も重傷を負い、後に亡くなります。

龍馬は満31歳でした。

しかも、この日は龍馬の誕生日でもあったとされています。

日本史上でも特に有名な暗殺事件ですが、長い間、

「誰が龍馬を殺したのか?」

という疑問が人々を引きつけてきました。

現在有力とされるのは「京都見廻組説」

龍馬暗殺について現在有力視されているのが、 京都見廻組による襲撃説です。

京都見廻組は幕末の京都で治安維持などを担当していた 幕府側の組織でした。

明治時代になると、元京都見廻組の今井信郎が 龍馬暗殺への関与について供述しています。

さらに後年、同じく見廻組に所属していた 渡辺篤の証言なども伝えられました。

こうした史料から、実際に近江屋を襲撃したのは 京都見廻組だったとする見方が有力になっています。

ただし、ここで新たな疑問が生まれます。

実行犯が見廻組だったとしても、 彼らは自分たちの判断だけで龍馬を襲ったのだろうか?

この疑問から、さまざまな「黒幕説」が生まれていきました。

龍馬暗殺には数多くの黒幕説が存在する

坂本龍馬暗殺をめぐっては、 これまで数多くの説が語られてきました。

代表的なものとして、以下のような説があります。

  • 幕府側の勢力
  • 紀州藩
  • 薩摩藩
  • 新選組
  • 土佐藩関係者
  • 外国勢力

もちろん、これらすべてに十分な証拠が存在するわけではありません。

龍馬が幕末のさまざまな勢力と接触していたからこそ、 「龍馬が生きていると困る人物がいたのではないか」という想像が広がり、 多くの黒幕説につながったとも考えられます。

そして外国勢力をめぐる説の中で登場するのが、 今回のテーマである英国陰謀説です。

坂本龍馬暗殺「英国陰謀説」とは?

英国陰謀説にはさまざまなバリエーションがありますが、大まかには、

幕末の日本に大きな影響力を持っていたイギリスの利害と 龍馬の存在が何らかの形で衝突し、 暗殺につながったのではないか

と考える説です。

幕末の日本にはイギリス、フランス、アメリカ、 オランダなどの外国勢力が進出していました。

その中でもイギリスは、日本の政治や貿易に 大きな影響を与える存在となっていきます。

ここから「幕末の政変の裏側には列強の思惑があったのではないか」 という想像が生まれました。

幕末の日本とイギリスの深い関係

英国陰謀説を理解するには、 当時の国際情勢を知る必要があります。

19世紀は欧米列強が世界各地へ進出していた時代でした。

日本も例外ではありません。

1853年のペリー来航以降、 日本は急速に国際社会へ組み込まれていきます。

特にイギリスは幕末の日本で重要な存在でした。

薩摩藩とイギリスは1863年に薩英戦争で戦います。

ところが、その後は関係を改善。

薩摩藩はイギリスとの交流を深め、 西洋式の軍事技術や武器などを積極的に導入していきました。

一方、幕府はフランスとの関係を深めていました。

そのため幕末の政治情勢を、

「薩長などと関係を深めるイギリス」

「幕府を支援するフランス」

という国際的な構図から見る考え方もあります。

ただし、実際の外交関係はもっと複雑です。

単純に「イギリス対フランスの代理戦争として幕末の内戦が起きた」 と断定できるものではありません。

英国商人トーマス・グラバーとの関係

英国陰謀説を語る際、しばしば登場する人物が トーマス・ブレーク・グラバーです。

グラバーは長崎を拠点に活動したスコットランド出身の商人で、 幕末の日本で武器や船などを取り扱いました。

薩摩藩や長州藩などとも取引を行っています。

そして坂本龍馬の亀山社中・海援隊も 長崎を重要な活動拠点としていました。

そのため、 「龍馬と英国商人たちはどのような関係だったのか」 という部分が、後世のさまざまな想像につながっています。

しかし注意したいのは、

グラバーが龍馬暗殺を計画したことを裏付ける 確実な史料が確認されているわけではない

という点です。

歴史上の「接点」が、 そのまま「陰謀の証拠」になるわけではありません。

なぜイギリスが龍馬を消す必要があったと考えられたのか?

ここが英国陰謀説の最大のポイントです。

龍馬は単なる倒幕運動家ではありませんでした。

幕府を完全に軍事力で倒すのではなく、 比較的平和的な形で政治体制を変える方向を模索していた人物として 評価されることがあります。

大政奉還後も、新しい国家体制について構想していたとされています。

そこで陰謀説では、

「もし龍馬の構想によって日本国内の大規模な戦争が避けられれば、 武器を売る外国商人にとって不利益だったのではないか」

という推測が登場します。

つまり、次のような構図です。

  1. 外国商人が武器を販売する
  2. 日本国内で対立が続く
  3. 武器需要が増える
  4. 外国商人が利益を得る

そして龍馬が内戦を回避する方向へ動けば、 武器ビジネスにとって邪魔な存在になる――。

これが英国陰謀説で語られる代表的なストーリーの一つです。

非常にドラマチックな説ではありますが、 ここには大きな問題があります。

英国陰謀説には決定的な証拠がない

歴史を考えるうえで最も重要なのは 「面白いかどうか」ではなく、 史料によってどこまで確認できるかです。

現在のところ、

英国政府や英国商人が坂本龍馬暗殺を命令したと断定できる 決定的な一次史料は確認されていません。

「龍馬が英国側にとって邪魔だった可能性がある」

という推測と、

「英国側が龍馬暗殺を指示した」

という事実認定は、まったく別の問題です。

歴史ミステリーを楽しむ場合、 この二つを区別することが重要です。

「武器商人=戦争を起こした」とは限らない

英国陰謀説では、 武器取引が重要な要素として登場します。

確かに幕末には大量の西洋式武器が日本へ流入しました。

外国商人がそこから利益を得ていたことも事実です。

しかし、

武器を販売していたことと、 戦争そのものを意図的に引き起こしたことは同じではありません。

まして、特定の人物の暗殺を命令したとするには、 それを裏付ける史料が必要になります。

ここを混同すると、 歴史的事実と都市伝説の境界が曖昧になってしまいます。

それでも英国陰謀説が面白い理由

では証拠が乏しいにもかかわらず、 なぜ英国陰謀説は人々を引きつけるのでしょうか。

理由の一つは、 幕末が国内政治だけでは理解できない時代だったからでしょう。

日本では、

  • 徳川幕府
  • 薩摩藩
  • 長州藩
  • 土佐藩
  • 朝廷

など、さまざまな勢力が動いていました。

その外側では、

  • イギリス
  • フランス
  • アメリカ
  • ロシア

などの列強も日本の動向を注視していました。

龍馬はその中で政治、貿易、海運など 複数の分野を横断して活動しています。

そのため、

「龍馬暗殺の背後には、 もっと大きな国際政治があったのではないか」

と考えたくなる余地が生まれるのです。

龍馬という人物そのものが「陰謀説」を生みやすい

坂本龍馬ほど、多くの組織と接点を持った 幕末人物は珍しいでしょう。

土佐藩を脱藩し、勝海舟に学び、 薩摩と長州を結び、長崎で商業活動を行い、 新政府の構想にも関わっていく。

つまり龍馬を追いかけていくと、

  • 政治
  • 軍事
  • 貿易
  • 外交
  • 海運

といった幕末の重要テーマが次々と登場します。

それだけ多くの勢力と接点を持っていたからこそ、 「誰が龍馬を消したかったのか」という問いに 無数の答えを作ることができてしまうのです。

実行犯と黒幕は分けて考える必要がある

龍馬暗殺を考える際には、

「誰が襲撃したのか」

「誰かがその背後で命令していたのか」

を分けて考える必要があります。

前者については京都見廻組説を支持する史料があります。

しかし後者については、決定的な証拠がありません。

つまり、

「実行犯が見廻組だった」ことと 「さらに黒幕が存在した」ことは別問題

なのです。

黒幕が必ず存在したという前提から歴史を見ると、 証拠のない人物や組織まで疑うことになってしまいます。

英国陰謀説から見えてくる「幕末のもう一つの姿」

英国陰謀説そのものを史実として受け入れる必要はありません。

しかし、この説を入口にすると 非常に興味深いテーマが見えてきます。

それが幕末と国際社会の関係です。

学校の歴史では、

  1. 黒船来航
  2. 尊王攘夷
  3. 薩長同盟
  4. 大政奉還
  5. 明治維新

という国内中心の流れで理解することが多いかもしれません。

しかし同じ時期、世界では 欧米列強による海外進出が進んでいました。

幕末の日本人は、国内の権力争いだけではなく、

「日本が外国勢力とどのように向き合うのか」

という巨大な問題にも直面していたのです。

英国陰謀説は、その国際的な背景に目を向けるきっかけとして見ると、 興味深いテーマだと言えるでしょう。

まとめ|龍馬暗殺の謎は「史実」と「想像」を分けるともっと面白い

坂本龍馬暗殺については現在、 京都見廻組が実行犯だったとする説が有力視されています。

一方で、その背後にさらに大きな黒幕が存在したのではないかという説は 現在も語られています。

その一つが「英国陰謀説」です。

幕末のイギリスが日本で大きな影響力を持っていたこと、 外国商人が武器や船の取引に関わっていたこと、 龍馬が長崎を中心に貿易活動を展開していたことなどから、 さまざまな推測が生まれました。

しかし現時点では、

イギリス政府や英国商人が龍馬暗殺を指示したと断定できる 決定的な証拠はありません。

だからこそ、この説を楽しむときには、

「確認されている史実」と 「後世に生まれた推測」を分けて考えること

が重要です。

龍馬を殺したのは誰だったのか。

その背後に本当に黒幕はいたのか。

それとも、複雑な幕末という時代そのものが、 後世に「巨大な陰謀があったのではないか」と 想像させているのでしょうか。

150年以上が過ぎても議論が続いていること自体が、 坂本龍馬という人物と近江屋事件が 今なお人々を引きつけている証拠なのかもしれません。

よくある質問

坂本龍馬を暗殺したのは誰ですか?

現在は京都見廻組による襲撃だったとする説が有力です。 ただし、事件の細部については現在でも議論があります。

新選組が坂本龍馬を暗殺したという説は本当ですか?

事件直後には新選組が疑われましたが、 後に京都見廻組関係者による証言などが出てきたことから、 現在では見廻組説が有力になっています。

イギリスが坂本龍馬を暗殺した証拠はありますか?

英国政府や英国商人が龍馬暗殺を指示したことを証明する 決定的な史料は、現在確認されていません。 そのため英国陰謀説は、史実として確定した説ではなく、 仮説・陰謀説として扱う必要があります。

トーマス・グラバーは龍馬暗殺に関係していたのですか?

グラバーは幕末の長崎で活動し、 薩摩藩や長州藩などと取引を行った人物ですが、 龍馬暗殺の黒幕だったと断定できる確実な証拠はありません。

なぜ坂本龍馬暗殺には多くの黒幕説があるのですか?

龍馬が幕府、薩摩、長州、土佐、商人など多くの勢力と接点を持ち、 明治維新直前という政治的に極めて複雑な時期に暗殺されたことが 大きいと考えられます。

事件に不明な部分が残っていることも、 さまざまな説が生まれる理由でしょう。

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